クロネコの塵壺

自分の頭で考えて生きていこう

寄付について思うこと

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海外を旅している時に考えさせられることがあったので、今回はそのことについて書きます。

 

日本も格差社会で相対的な貧困率が上昇していますが、やはり他の国では日本の比ではない状況があります。

 

具体的にどの国という訳ではありませんが、ホームレスの人や物乞いの人たちが開発途上国だけでなく、先進国の主要都市にも必ずいます。

 

ある国の地方都市で見かけた光景なんですが、幼稚園ぐらいの子供連れの家族が、子供に対して目の前のホームレスの人にお金を渡すように伝えて、子供は恐る恐る紙コップにお金を入れていました。

 

この状況に少し違和感を感じたのですが、これって本当に子供のためになるんでしょうか。

 

親としては、困った人を助けるのは当然!、という問答無用の正義感というか、そういう心を子供に持ってほしい、ということだと思うんですが、でも、人を助けるって目の前の紙コップにお金を入れることなんでしょうか。

 

僕はカンボジアに何度か行った経験があるんですけど、アンコールワットがあるシェムリアップという町に空港が出来て、日本人の観光客、とりわけ年配の方が増えたそうです。

 

そして、シェムリアップにも物乞いの人がたくさんいます。

 

日本人の年配の方は、戦後の食べ物に困っている時期を経験されている方が多く、子供の物乞いを見るとお金をあげてしまうのですが、現地の子供たちが一度そういう経験をしてしまうと、まじめに働こうとか、勉強して真面目な仕事に就こうと思わなくなるわけです。

 

これって善意が人を駄目にしてしまう典型的な例だと思うんです。優しさが人を駄目にしてしまう。

 

では、彼ら、特に物乞いの子供たちに必要なものは何なのか。

 

それは教育と仕事ではないでしょうか。

 

その場しのぎではなく、持続的に人間らしい生活を送れる基盤を提供してあげること、それが本当に必要なことではないでしょうか。

 

とまあ、真面目なことを語ってきたのですけど、現実問題として明日食べるものがないとか一週間も何も食べていない人を前にすれば、教育だ、仕事なんぞいってられない、という意見もあると思います。

 

ただ、短絡的にお金をあげる行為にはそれなりの代償があることを認識した上で、覚悟をもってするべきではないでしょうか。

 

ここまで書いてきてアレなんですが、本当は日本に寄付文化がそれほど根付いていないのはなぜかということを書きたかったんですけど、ちょっと内容が変わってしまいました。

 

余談ですが、ブリティッシュ・エアウェイズに乗った時に、インドネシアの自然災害に遭われた人のために小銭を寄付してください、という呼びかけを機内でやっていて、欧米と日本では寄付の定着度とか考え方が違うよなって思った次第です。