クロネコの塵壺

自分の頭で考えて生きていこう

中島淳著『山月記』について

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みなさんは、定期的に読み返したくなる文章はありますか?

 

私の場合は、『山月記』がそれに当たります。

 

国語の教科書にも掲載されている文章なので、読まれた方も多いと思います。短編小説なのですが、最初に読んだ時から心を捉えて離さない何かがありました。

 

その前に、まずはあらすじですね。

 

唐の時代の中国が舞台になっています。

主人公は、自分には詩の才能があると考え、職を辞して詩に専念します。が、全く芽は出ず、就職し直します。

その頃には、自分が見下していた同僚が高い地位についており、そのような人間の下で働くことは主人公にとって屈辱でした。

公用で出かけた土地で、主人公は発狂し行方不明になってしまいます。

 

ここまでが物語の前半から中盤です。

 

物語の後半で、ある姿になった主人公が、失踪後の自分のことや、自分の人生がなぜうまくいかなかったかを語る場面があります。

 

その場面が、この物語の最高潮だと思います。

 

「周りにいる人を見下して、周囲の人と交流したり切磋琢磨せず、独りよがりの世界に没入したことが、こういう運命を辿った原因かもしれない」と吐露します。

 

臆病な自尊心と尊大な羞恥心という言葉が出てきます。

 

私もどちらかと言うと、主人公と似た性質を持っていて身につまされます。

 

私は社交性が全くないのですが、これは主人公の性質のような、臆病な自尊心や尊大な羞恥心からくるものであると考えています。

 

つまり、自己肯定感が低く、傷つくのが怖いので、周囲の人と積極的に関わろうとしないという臆病な人間、ということです。

 

もちろん、社会人としての表面的な社交性はあります。ただ、表面的に関わるのに慣れてしまい、本音でぶつかるというか、熱い魂のぶつかりあい、みたいなことはもう何年もない気がします。

 

常に冷めている人生。

 

本当にこれでいいんだろうか。

 

そして、この小説を読んでいて身につまされることがもう一つあります。

 

それは、主人公の詩のように人生をかけて取り組めるものがまだ見つかっていないことです。

 

その糸口のようなもの、輪郭は見えてきているので早く掴み取りたい心持ちです。