クロネコの塵壺

自分の頭で考えて生きていこう

20世紀で最も偉大な彫刻家の一人、ジャコメッティの展示を見て考えたこと

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先日、国立新美術館で開催中のジャコメッティ展を見てきました。細長い特徴的な彫刻を作る人、ということは知っていたのですが、詳しいことは何も分からない状態だったので、生い立ちも含めて初期から晩年の作品まで鑑賞できたのはとても勉強になりました。

ということで、今回は展示を見に行って考えたことを書きたいと思います。

まず、ジャコメッティについての紹介です。イタリア系スイス人のアルベルト・ジャコメッティ(1901年-1966年)は、スイスで生まれ、フランスを拠点に活躍した彫刻家です。父親が画家ということもあり、小さい頃から芸術に親しみ、パリの美術学校で勉強をします。

ジャコメッティの彫刻にはいろいろなシリーズがあります。キャリアの初期には、抽象的な作品を作っていたこともあります。彼の代名詞とも言える細長い人間像はキャリアの中期から後期にかけて作りはじめたものです。

ある作品の解説で、ジャコメッティの作品は実存主義的である、ということを読んで少し驚きました。以前の記事(エマ・ワトソン主演『美女と野獣』を見て人生の一回性について考える)でキルケゴール実存主義について少し書いたのですが、まさかジャコメッティ実存主義が関連しているとは思いませんでした。

実存主義とは、簡単に言うと自分がいないと世界が成り立たない、自分という存在が何かを体験することで世界を拡張していく、という考え方です。

その反対が本質主義で、自分がいなくても世界が成り立つ、という考え方です。世界は所与のもので、自分がいなくても成り立つという考え方は突き詰めると運命論的な考え方にたどり着きます。

一方で、実存主義的な考え方を突き詰めると、自分が関与することで世界を広げていくことができる、自分の行動が世界を形作り影響を与えることができる、つまり革命論的な考え方にたどり着きます。

ジャコメッティの作品の何が実存主義的なのかを考えていたのですが、いわゆる一般的で写実的な彫刻ではなく、彼にとっての真実、真理を探求した作品を作った点において実存主義的なのかもしれません。

彼の名言が展示の出口に書かれていたのですが、これが彼の哲学を物語っていると思います。

そんなものは、みな大したことではない。
絵画も、彫刻も、デッサンも、文章も、はたまた文学も、
そんなものはみな、それぞれ意味があっても、
それ以上のものでない。


試みること、それが一切だ。