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クロネコの塵壺

自分の頭で考えて生きていこう

エマ・ワトソン主演『美女と野獣』を見て人生の一回性について考える

Rose rouge dans son vase rouge ラブロマンスや恋愛系の映画は少し苦手なのですが、才色兼備のエマ・ワトソン主演ということで見てきました。

時間の都合で字幕版を見たのですが、日本語吹き替え版の力の入れ方はすごいですね。主人公ベル役の声はミュージカル界の若手ホープ昆夏美(こんなつみ)さん、ビースト役の声は同じくミュージカル界から山崎育三郎さんなど、他にも実力派かつ豪華な声優陣だらけなので、もう一度見る時は吹き替え版で見るつもりです。

有名なディズニーアニメの実写版ということであらすじは大体分かっていました。それほど期待せずに見に行きましたが、完成度の高い映画だったと思います。映像も綺麗で音楽も申し分なし。脚本については、もう少し捻りが欲しかった気もしますけど、狙っている年齢層が低めということもあり、前衛的なことはあまりできないのかもしれません。

前衛的というと、同性愛的なキャラクターが登場するので、その部分は少し新しい要素だったと思います。その影響でロシアでは16歳未満の鑑賞が禁止になったらしいです。まあ、自分の場合はエマ・ワトソンの大ファンなので彼女をスクリーンで見れただけで満足だったりしますけど。

この映画はジャンルとしてはファンタジーやラブロマンスに分類されると思います。冒頭でラブロマンスや恋愛の映画が苦手と書いたんですけど、なぜ苦手なのかを考えてみると、それは「人生の一回性を強く意識させられるから」なのかもしれません。

当たり前の話なんですけど、人との出会いは一期一会で、恋人や結婚相手との出会いも一期一会ですよね。運命の人というのがこの世のどこかにいて、それに出会う。素晴らしいことなんですけど、でも人生においてそれは不可逆で、一回性を重ねた先にあるものは人生の終焉であり、死であるわけです。

つまり何が言いたいのかというと自分は極めて臆病な人間ということを再認識したということです。自分の人生の中から一回性という事象を遠ざけて、再現性や永続性のありそうな要素だけを取り込んでいこうとする傾向がある気がします。まるで自分は死ぬことを前提としていないかのように。

でも、それが生き苦しさの原因になっていることにも薄々気づいていて、自分の中でバランスを取ろうとして最近は芸術や音楽のようなものに没頭し始めた気がします。芸術は、個別性や即興性のような一回性に近い要素を含んでいるので、そういう要素が自分にとって必要だから触れようとしているのかなと思っています。生きていること(=いずれは死ぬこと)を実感するために。

すみません、だらだらと書いてきましたけど、なぜこういうことを考えるようになったかと言うと、旅先のコペンハーゲンの王立図書館で見たキルケゴールの言葉がきっかけだと思います。キルケゴールは、一般的・抽象的な概念としての人間ではなく、主体的・具体的な概念としての人間を対象として思索を深めた人です。

主体的・具体的ということは、人間の個別性や人生の一回性を強く意識する考え方とも言えます。図書館で見かけたのは「人生は、解かれるべき問題ではなく、経験されるべき現実である。(Life is not a problem to be solved, but a reality to be experienced.)」という言葉です。それぞれの人生はそれぞれの人間の個別具体的な経験の積み重ねによって構成されていて、問題のように一般的な正解があるわけではない、という意味だと思います。

結論としては、平凡なことですけど人生の有限性、一回性を意識して一日一日を丁寧に大切に生きる、これに尽きるんじゃないかと思います。この時に重要なのが、過去を全肯定することだと考えています。過去のことでクヨクヨ悩んでいる暇があったら、現在と未来に力を注いだ方が有意義ですよね。だって、人生は一回きりなんですから。

以上で極めて主観的なつぶやきを終わります。最後までお読み頂きありがとうございました。