クロネコの塵壺

自分の頭で考えて生きていこう

社会人になって気づいたこと:論理思考はそれほど重要ではない

Beautiful Dream (only happen in a dream)

前回はサード・プレイスについて取り上げましたけど(→「社会人になって気づいたこと:サード・プレイスの重要性 - クロネコの塵壺」)、今回は論理思考について考えてみたいと思います。

論理 直感
冷静 情熱
技術 芸術
客観 主観
左脳 右脳

現代社会はどちらかと言うと左側のキーワードを中心にして社会システムが回っていますし、僕も社会人になりたての頃は論理思考を信奉していました。僕の最初の職場はメーカーの製品企画部門だったのですが、上司がまるで外資系のコンサルティング会社にいそうな雰囲気の人で驚いた記憶があります。

その上司からロジカル・シンキングに関する本を勧められたり、研修を受けるように指示されたこともあり、仕事ができるようになるには論理思考を極める必要があると考えるようになりました。正確に言うとその上司の凄さはロジカルな部分だけではなかったのですが、僕は追いつきたくて必死になって吸収しようとしました。

論理思考を信奉する素地として、これまで受けてきた教育の影響もあるかもしれません。日本の教育システムは、組織においていかに生産性を上げる人材を育てるか、という所に集約される気がしています。感覚や感性よりも論理や客観を重視する教育ではないでしょうか。

巷に溢れるコンサル本の影響もあるかもしれません。フレームワーク思考の欠点もいろいろあると思うのですが、その当時は何も疑っていませんでした。ロジカル・シンキングは非常に有用で、論理的ではない人はバカ、と本気で考えていました。

仕事をする上で物事を論理的に把握して説明する能力は確かに必要です。ただ、ある時に気づきました。ここを掘り下げても何も出てこないかもしれない。大事なのは主観や情熱の部分で、論理性や客観性はそこまで重要ではないのではないか。主従関係で言うなら、論理性や客観性は従の部分ではないだろうか。

僕の周りの魅力的な人たちを見ていると、ある個人的なテーマや主観的なテーマに沿って仕事に取りくんでいる人はとても生き生きしていました。また、仕事は生活のためと割り切っている人でも、仕事以外の部分で自己表現の活動、例えば写真の個展を開いたり、音楽活動をすることで輝いている人がいることに気づきました。

まあ、考えてみると当たり前のことなんですけど、肌感覚として分かってきたということですね。気付くのが遅いと思いましたけど。

以前はロジカルの塊で生産性が高くて、いつも冷静でマシーンのような仕事人間をかっこいいと思っていましたけど、今は違います。もっと人間的でだらしなくても主観的に生きている人をかっこいいと思うようになってきました。

アートに興味を持つようになったのもそういう変化が自分の中で起きているからだと考えています。世の中の傾向として実学重視の風潮がありますよね。プログラミングや英語を小学校から教えようとか大学の人文学部は縮小していこうとか。

でも、論理的な部分ってコンピューターやAIに代替される世の中になっていくので、これからの世の中こそ人間って何なのっていうアートや人文系のことが重要になってくるんじゃないでしょうか。

僕は現代社会で心を病む人が多いのは、感性、感覚、主観軽視の風潮があるからだと考えています。現在の社会システムは大混乱になると思いますけど、誰もが岡本太郎的に生きられたら世の中もっとハッピーになるかもしれません。

すみません、まとまりのない文章になってきました。つまり言いたい事は、ビジネスの共通言語として論理思考は大切ですが、それよりも大切なことがあるのではないかということです。主観を大事に生きた方が人生が充実するかもしれない、幸せになれるかもしれない。今は本気でそう考えています。また考え方が変わるかもしれませんけど。

以上で極めて主観的なつぶやきを終わります。最後までお読みいただきありがとうございました。