クロネコの塵壺

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【思索】で、多民族社会って結局どうなのさ(後編)

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前回のまとめと多様性という言葉について

 前編(→【思索】で、多民族社会って結局どうなのさ(前編))では多民族社会のメリットについて書きました。まとめると多民族社会の強みというのは多様性にあって、異質なもの同士がぶつかることで視野が広がったり、イノベーションが生まれる可能性がある。また、そのような多様な価値観の社会で育った人々は他民族、マイノリティ等に対して寛容になれるのではないか、ということを書きました。

 この多様性という言葉は一般的にポジティブに捉えられるのではないでしょうか。特に日本は単一民族モノカルチャーの性質が強い国なので、日本人の同質性、画一性、同調圧力の高さを批判する文脈で、日本社会には多様性がない、という言い方をしがちです。

 私が以前勤めていた会社でも、「理系・院卒・日本人男性」が社員の7割を占めていた部門があり、そこの部門長が「こんな画一的な人材で世界で勝てる商品を生み出せるわけがない」ということを言っていました。加えて、私が勤めていた会社はカタカナ語が大好きで、グローバル、ダイバーシティイノベーションという言葉が社内資料で飛び交っていました。「5年後にはグローバル人材の比率を20%にまで高め、社内のダイバーシティを確保し、イノベーションを推進する。」みたいな感じです。グローバル人材ってなんですかね。

 すみません、前置きが長くなりました。多様性という言葉の裏にあるものを認識しないでポジティブに考えるのは危険だということを言いたかったのです。

多民族社会のデメリットとは

 ということで、後編はデメリットについて書きます。

 前編で「多様性における調和」というマレーシアの理念を紹介しましたが、これはあくまで理想であって、現実には多民族・多文化・多宗教であればそこには緊張が生まれるはずです。現にマレーシアでも1969年に民族衝突(5・13事件)が起きてマレー系と非マレー系住民の不満が露呈しました。そこから政策が一気にマレー系優遇(プミプトラ政策)に傾きます。華人との経済格差を是正するためです。マレー系であれば国立大学へ優先的に入学できたり、公務員の採用等でも優遇されます。

 すなわち、多民族社会の場合は、政府が主導して国のあり方をデザインする必要があるということですね。プミプトラ政策は民族差別的な政策と捉えることも可能なので、批判はされますが政治の中枢をマレー系が握っているので撤廃は難しいようです。

 多文化社会という点では、国をプロモーションする時に統一感を持って紹介するのが難しい、ということが挙げられます。マレー系、中華系、インド系の文化を満遍なく紹介するとバラバラ感が出ると思います。現に「Malaysia Truly Asia」というプロモーションキャンペーンでは必ず5人の女性(マレー系、中華系、インド系、サブ・サラクワの先住民2人)が出てきます。日本の場合は舞妓さん1人いれば誰も文句は言わないでしょう。

 多言語社会という点では、コミュニケーションコストが増加し、効率性が落ちる場面があると思います。映画館で見たハリウッド映画の字幕が中国語とマレー語の同時表示だったのには驚きました。英語が準公用語の国と言っても全ての人が英語に堪能という訳ではないので、その辺りの配慮が必要ということですね。

まとめ

 こうして書いてみるとデメリットも多くありますね。多民族・多文化・多宗教の国というと聞こえは良いですけど、その裏には国家レベルで難しい国のかじ取り、住民レベルでは民族間の緊張と対立があるということでしょうか。日本が移民を受け入れ多民族国家になるには国のあり方をデザインできる優秀な政府と国民の相応の覚悟が必要ということだと思います。最近の欧州の移民・難民問題、トランプ次期大統領の政策を見ていると他者に対して不寛容な世の中になりつつあると感じますが、内向きになるのだけは避けたいと考えています。

参考文献