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クロネコの塵壺

自分の頭で考えて生きていこう

ネット碁と身体性について考えたこと

 最近、囲碁クエストにハマってます。

 13路盤なのでそれほど時間もかからないし、対戦相手が多くいるので待つこともないし、頭の体操にちょうど良い感じなのが気に入ってる理由です。ただ、ネット碁を含めて勝敗が絡むオンラインゲームは中毒性がすごくて対策を考えねばと思っています。まあ、その件はこれから考えるとして今回はネット碁と身体性について考えたことを投稿します。

 

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 囲碁というゲームの身体性について考えてみたい。通常、囲碁は二人で向かい合って対局する。対局者は相手の表情、呼吸、視線、身体全体から放たれる雰囲気を感じ取りながら対局する。中盤の勝負どころでは盤面に集中し、相手の存在を忘れることもあるが、それは一時的で相手の存在を感じながら勝負を進める。盤面が不利になると相手は苛立ち、顔をしかめ、焦りから着手が早くなる場合があるし、盤面が有利になると相手の呼吸はゆっくりになり、表情も幾分穏やかになる。もっともそういう分かりやすい相手ばかりではないが、アマチュアレベルであれば盤面の状況に応じて何らかの身体的な反応がある。

 

 次に、インターネットを介して行われる囲碁の対局である「ネット碁」について考えてみたい。相手の身体が見えない、すなわち表情、呼吸、視線等が見えない。自然と着手が攻撃的になり、通常打たないような無理な手を打ってしまう。私の経験上、自制をしないと通常とは違う打ち方になる可能性が高い。対局は二人で作りあげていくものなのに相手の身体性や気配が感じられなくなると、相手への配慮を忘れ自分勝手に打ってしまう。

 

 上記の要因として3つの理由が考えられる。1つ目は、マウスによるクリック操作である。「ネット碁」ではクリック一つで着手が完了してしまう。それに対して現実の対局では碁笥から石を取り、盤面に叩きつけるという行為が必要である。身体的な要素を排除した着手の方法が対局者の心理に与える影響は大きいと考える。2つ目は、対局者が相手の身体性や気配を感じられない点である。特に無料の「ネット碁」対局サイトでは匿名での登録が主流で相手の写真も掲載されていないことが多い。相手の表情、呼吸、視線等が感じられないので、相手への敬意を忘れて攻撃的な手や実験的な手を選択しがちである。3つ目は、対局後の「感想戦」の時間がない点である。囲碁では「局後の検討」と呼ばれるが、対局後に開始から終局まで、またはその一部を再現し、対局中の着手の善悪や、その局面における最善手などを検討することである。無料の「ネット碁」対局サイトでは、「局後の検討」を行わずに雑に対局を重ねるだけの内容を伴わない一局を量産しがちである。

 

 今回は、身体性の観点から「ネット碁」の欠点を考えてみたが、もちろん利点も多くある。時と場所を選ばず棋力に応じた相手と打つことができるし、囲碁史上初の六冠達成者であるプロ棋士井山裕太は「ネット碁」を通して成長した経緯もあるので、「ネット碁」を全面的に否定する気はない。ただ、本当に心をこめて相手とつくりあげる一局を目指すのであれば身体性を感じながら打つ現実での対局をお勧めしたい。

 

                                    以上